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ラーチャブリー県のドヴァーラヴァティー遺跡巡り
先日、ラーチャブリー県のドヴァーラヴァティーの遺跡巡りツアーに参加して、日帰りでラーチャブリー県を訪れました。
ドヴァーラヴァティーは現在のタイ中部地方を中心に6〜11世紀ごろ繁栄していたモン人の古代王国です。
モン人は東南アジアで最初に仏教を受容した民族で、現在はミャンマー南部やタイ西部を中心に、広範囲に居住しています。
ドヴァーラヴァティー時代の遺跡は、タイ北部のペッチャブーン県にある世界遺産シーテープ遺跡やバンコクの隣県ナコンパトムにある大仏塔なども有名です。
でも、バンコクから車で1時間半ほど走ったラーチャブリー県にもドヴァーラヴァティー時代の遺跡があることは初めて知りました。
今回は考古学的にもたいへん貴重なドヴァーラヴァティー時代の遺跡を4カ所見学し、現在のモン人集落も訪れました。
ラーチャブリー県カオ・ングーの仙人洞窟
The Rishi Cave at Khao Ngu Stone Park
ถ้ำฤๅษีเขางู
最初に訪れたのは、蛇山という意味を持つカオ・ングー(เขางู)。
山腹に作られた階段を上がった先にあるのは仙人洞窟(ถ้ำฤๅษี)です。
洞窟内の石灰石の岩壁には、6〜7世紀ごろのものと思われる、タイ国内の最古の仏像の一つが彫られています。
椅子に腰掛けた仏陀の足元でカーブを描く衣の裾の表現から、古代インドのグプタ様式の影響を受けていると考えられているそうです。
何百年もの時を経た洞窟の中には、多くの仏像や壁画があり、神秘的な雰囲気に包まれていました。
ラーチャブリー県カオ・ングーのファートー洞窟
The Fa Toh Cave at Khao Ngu Stone Park
ถ้ำฝาโถเขางู
次に、近くにあるファートー洞窟に立ち寄りました。
こちらは262段の険しい階段を登った先にある小さな洞窟です。
階段を一歩一歩登りながら、やっとの思いで辿り着きました。
ファートー洞窟の見どころは、洞窟の左手の大きな涅槃仏と、その向かい側の2人の仏陀の弟子の姿を岩壁に彫った彫刻。
6〜7世紀ごろのものだと推定されています。
洞窟の入り口の方向に頭を向けた涅槃仏の構図は、世界遺産にも登録されているインドのアジャンター石窟寺院の第26窟涅槃仏に似ているのだそうです。
6−11世紀にタイ中部にあったモン人のドヴァーラヴァティー王国は、東南アジアで最も早く仏教を受容したと言われています。
古代インドからドヴァーラヴァティーに旅してきた仏教僧との交流によって、仏教に触れる機会があったのではないか…と想像がふくらみます。
高台からの雄大なラーチャブリー市の景色。1000年以上も前にこの場所にいた人々も、私と同じ風景を見たのでしょうか。
カオ・ングーの仙人洞窟とファートー洞窟のマップ
ラーチャブリー県クーブアのドヴァーラヴァティー時代の遺跡
Dvaravati Site at Muang Ku Bua
โบราณสถานเมืองทวารวดีที่คูบัว จ.ราชบุรี
次に訪れたのは、クーブアという街のドヴァーラヴァティー時代の遺跡群
クーブアでは、モン人の古代王国ドヴァーラヴァティー時代(6−11世紀)の寺院遺跡が40カ所以上発見されているそうです
ドヴァーラヴァティー遺跡といえば、ペッチャブーン県のシーテープの遺跡が2023年にタイの世界遺産に認定されて、注目を浴びましたよね
クームアン遺跡もシーテープ遺跡と同時代のものだそうですが、クームアンのほとんどの遺跡は、寺院の基壇部分しか残っていないそうです
それぞれの遺跡には番号がついていて、最も保存状態の良いのが、クローン・スワンキリ寺院のそばにある18番目の遺跡
寺院の基壇に、本堂に上がる階段がかなりきれいに残っています
遺跡の階段や基壇の上を歩いてもいいと説明を受け、こんな重要な遺跡をみんなが歩き回って、破損したりしないのだろうかと心配しながら、テラコッタの上を恐る恐る歩いてみました
タイの歴史では13世紀に興ったスコータイ朝が始まりとされていますが、それよりもずっと前から、この地に様々な民族の文明が、興っては消えていったという歴史を、実感を伴いながら学ぶことができた気がします
遺跡で発見された貴重な彫刻などは、ラーチャブリー国立博物館に展示されています
興味のある方は、遺跡の見学後、博物館にも立ち寄ってみると良いと思います
ラーチャブリー国立博物館のマップ
ラーチャブリーのマハータート・ウォーラウィハーン寺院
Wat Mahathat Worawihan Ratchaburi
วัดมหาธาตุวรวิหาร ราชบุรี
ラーチャブリー県のドヴァーラヴァティー遺跡巡り
最後にご紹介するのは、市の中心部にあるマハータート・ウォーラウィハーン寺院というラーチャブリー県で最も重要な寺院です
この寺院のすごいところは、ドヴァーラヴァティー時代から現代まで、ずっと変わらず(遺跡にならず)信仰の対象として存続してきたことだと思います
お寺の基壇はドヴァーラヴァティー時代のものですが、その上になんとクメール様式の仏塔が重なるように建てられているのです
クメール様式に立て替えられたのは13世紀ごろだそうです
現在のラーチャブリーやバンコクを含むタイ中部の古代史は、歴史家によってまだまだ様々な議論があるようです
大筋としては、6−11世紀ごろにモン人のドヴァーラヴァティー王国が興り、9−15世紀に現在のカンボジアの方から勢力を拡大したクメール帝国によって征服され、11世紀ごろに興ったラヴォ王国が13世紀のスコータイ王朝に引き継がれ、それ以降タイ人の支配下になったという流れだと理解しています
マハータート寺院では、ドヴァーラヴァティー時代の「石の鐘」や「法輪」などの出土品が展示されているほか、
マハータート寺院で見つかったドヴァーラヴァティー時代の仏頭が、ラーチャブリー国立博物館に展示されています
また、寺院内には、アユタヤ時代からラタナコーシン時代に至るまで、それぞれの時代を象徴する様々な様式の仏像も祀られています。
マハータート・ウォーラウィハーン寺院のマップ
ラーチャブリー県のモン寺院ワット・コンカラーム
Wat Khongkharam Ratchaburi
วัดคงคาราม ราชบุรี
ドヴァーラヴァティー帝国はその後どうなったのでしょうか。
かつて東方からクメール帝国が勢力を拡大し、 モン人のドヴァーラヴァティー帝国が衰退すると、モン人の王国はタイ中部より西に移動し、現在のミャンマー南部が中心になりました。
しかし、今度は北方から南下してきたビルマ人に攻撃され、アユタヤ時代からバンコク時代にかけて、多くのモン人がシャムへと移住。
ミャンマーと国境を接するタイ東部のカンチャナブリー県やラーチャブリー県には、今でも多くのモン人集落があります。
現在、ラーチャブリー県には、タイ人、カレン人、ユアン人、ラオ人、クメール人、華人など、多くの民族が住んでいます。
ラーチャブリー県ポータラム地区は、タイ国王ラーマ1世時代に移住してきたモン人集落があります。
この地域のワット・コンカラームというモン様式の寺院は、ラーマ3世時代に描かれた美しい壁画が有名です。
ウェーサンドン王子やマハチャノックなど、有名な仏教の前世の物語(ジャータカ)が描かれているということです。
ワット・コンカラームのマップ
歴史あるコンカラーム寺院の壁画を見学し、最後に同じ地区にあるワット・ムアンのモン人の文化遺産を展示する民俗博物館に行く予定だったのですが、この日は時間切れになってしまい、一番楽しみにしていた博物館は、ほとんど見ることができませんでした…(泣)
いつかまた、リベンジでラーチャブリー県を再訪することになりそうです。
私にとって初めてのドヴァーラヴァティ遺跡めぐり。
ラーチャブリーにこれほど多くの歴史的な見どころがあるとは知らず、とても驚きました。
古代史や仏教美術については、まだまだ勉強不足ですが、ずっと興味を持っていたタイ中部におけるモン人の歴史を辿ることができたのは、とても有意義な1日でした。