ロッブリー史跡巡りガイド:アユタヤ時代ナーラーイ王が築いた第二の首都を歩く

ロッブリー 史跡

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はじめに:サルが消えた歴史ある都、ロッブリー史跡巡り

2025年4月にバンコクから日帰りでロッブリー史跡巡りに行ってきました。

ロッブリーといえば、毎年12月ごろに見頃を迎える「ひまわり畑」がとても有名です。私が過去2回ロッブリーを訪れた際は、「ひまわり畑」が目的でした。

ただ、ロッブリーの街のもう一つのシンボルは町中にあふれるサル。観光客がサルに襲われる事件も続出していて、私自身、過去にサルに襲われた苦い経験があり、ロッブリー観光からは足が遠のいていました。

ロッブリー サル
遺跡に集まるロッブリー名物のサル

ロッブリーは、2018年に放映されて大ヒットしたタイの時代劇ドラマ「ブッペーサンニワート(邦題:運命の二人)」の舞台にもなったことから、史跡巡りの人気が高まりました。

近年、行政によるサルの捕獲作戦が進み、2025年現在、ロッブリー旧市街はすっかり落ち着いた雰囲気に。そんな背景もあり、ずっと行きたかった「ナーラーイ王の離宮跡」をはじめとする史跡巡りに、ようやく出かけることができました。

ロッブリー 史跡
行政の捕獲作戦によりサルが消えたロッブリー

ロッブリーの歴史的背景

ロッブリー(Lopburi / ลพบุรี)は、アユタヤ時代の第28代・ナーラーイ王(在位1656-1688年)が、王の離宮を建てて第二の首都とした都市です。外交や文芸が盛んだったこの時代は、400年続いたアユタヤ時代の中でも特に華やかな時代でもあり、2018年に放映されて大ヒットしたタイの時代劇ドラマ「ブッペーサンニワート(邦題:運命の二人)」の舞台にもなりました。

テレビドラマ「ブッペーサンニワート」のシーン(花嫁姿のマリー・ギマール) 出典:タイメディアPrachachat

【見どころ①】ナーラーイ王国立博物館

Somdet Phra Narai National Museum / พิพิธภัณฑ์สถานแห่งชาติ สมเด็จพระนารายณ์ ลพบุรี

ナーラーイ王の離宮跡を整備した国立博物館です。離宮の敷地は、タイの王宮の伝統に則って、3つのエリアに分かれています。それぞれのエリアは重厚な壁と扉によって隔絶されています。

・公的機関などのある外域(ชั้นนอก)
・国王が執務を行う中域(ชั้นกลาง)
・国王と奥様や子女の私的な住まいがある内域(ชั้นใน)

ナーラーイ王離宮内では次の4つの宮殿を見学しました。

ナーラーイ王国立博物館 見取り図
ナーラーイ王国立博物館内のレイアウト
ナーラーイ王国立博物館
王宮内のエリアを仕切る重厚な壁と門

①チャンタラ・ピサーン宮殿

พระที่นั่งจันทรพิศาล

もともとのナーラーイ王時代の宮殿を19世紀後半にラーマ4世が修復。純タイ様式の建物で、館内ではナーラーイ王時代の外交関係や生活文化に関する展示が見られます。

ナーラーイ王国立博物館
純タイ様式のチャンタラ・ピサーン宮殿

② ピマーン・モンクット宮殿

พระที่นั่งพิมานมงกุฎ

ラーマ4世によって新たに建てられた宮殿。西洋・中国・タイの建築が融合した3階建ての建物。ラーマ4世の寝室や、ロッブリーで発見されたドヴァーラヴァティ時代・クメール時代・アユタヤ時代の美術品も展示されています。ロッブリーはクメール時代の遺跡も有名で、クメール美術に関心がある方には特におすすめです。

ナーラーイ王国立博物館
各時代の貴重な美術品を展示するピマーン・モンクット宮殿
クメール美術
ロッブリーのクメール時代のヒンドゥー寺院の装飾

③デュシット・サワン・タンヤー宮殿

Dusit Sawan Thanya Mahaprasat Throne Hall / พระที่นั่งดุสิตสวรรค์ธัญญมหาปราสาท

この宮殿は玉座の間があり、外国使節との謁見の場として使用されていました。とくにルイ14世時代のフランスとの外交が盛んだったナーラーイ王時代の建築物は、西洋風の装飾が施されているのが特徴。

玉座の間は、シャンデリアや鏡張りの壁、ペルシャ絨毯が使われた豪華な空間だったそうです。

ナーラーイ王国立博物館
玉座の間があったデュシット・サワン・タンヤー宮殿

逸話:床に平伏を拒んだ西洋使節

1685年にフランスからシュヴァリエ・ド・ショウモンを代表とする使節団がアユタヤを訪れましたが、ナーラーイ王の前で床に平伏するのを拒否。そのため、玉座を高くし、使節団が見上げる形で謁見するという対応が取られたという話がとても有名です。

ナーラーイ王 フランス施設
立ったまま謁見するフランス使節の様子を描いた絵

④スッターサワン宮殿(ナーラーイ王の寝殿)

Suthasawan Palace / พระที่นั่งสุทธาสวรรย์

ナーラーイ王は重病により、1688年にこの寝殿で逝去しました。王の信任を得たギリシャ人フォールコン(チャオプラヤ・ウィチャーイェン)が実権を握る一方で、反フランス勢力のペートラーチャーがクーデターを起こし、王の寵愛していたピー王子やフォールコンを粛清した、まさに歴史的事件の現場でもあります。

ナーラーイ王 寝殿
ナーラーイ王の寝殿であったスッターサワン宮殿跡

逸話:ペートラーチャーのクーデター

ナーラーイ王は、ギリシャ出身のコンスタンティン・フォールコンという外国人に厚い信頼を寄せていました。フォールコンは異国の出身ながら、なんと当時のシャム(現在のタイ)で総理大臣にあたる要職にまで上り詰めた人物です。

しかし、彼の真の姿は非常に野心的。表向きはフランスとの外交を取り持っていましたが、裏ではアユタヤをフランスに占領させようと密かに動いていたと伝えられています。

こうした動きに危機感を抱いたのが、国内のタイ貴族たちです。中でも反フランス派のリーダー、ペートラーチャーは、ナーラーイ王が病に倒れた隙を突いて行動を開始します。舞台となったのは、スッターサワン宮殿の近くにある「プラチャオ・ハオ館(Phra Chao Hao Hall/ตึกพระเจ้าเหา)」。

フォールコンが後継者に指名しようとしていた、王に愛された里子・ピー王子は密かに排除され、フォールコン自身も処刑されます。そしてナーラーイ王の崩御後、ペートラーチャーは新たな王として即位し、アユタヤ王朝の流れを大きく変えることとなりました。

プラチャオ・ハオ館
ペートラーチャーのクーデターの舞台となったプラチャオ・ハオ館

一見するとただの廃墟のようにも見えるスッターサワン宮殿ですが、事前にドラマで歴史を学んでいたおかげで、「ここがあの有名な事件の現場なのか」と、足を踏み入れた瞬間に胸が高鳴りました。かつて様々な歴史的事件があった場所に自分が立っていると思うと、感慨深い気持ちに包まれます。

ナーラーイ王の時代、この宮殿のまわりには緑豊かな美しい庭園が広がっていたと伝えられています。今では静けさに包まれた敷地内に、樹齢を感じさせる大木が堂々と枝を伸ばし、深い木陰を落としていました。

もしかすると、これらの木々は300年以上前の政変を、そしてその後のアユタヤの移り変わりをずっと見守ってきたのかもしれません。そう思いながら歩くと、風の音や鳥のさえずりまでもが、まるで歴史のささやきのように感じられます。

ナーラーイ王 歴史
樹齢を感じさせるナーラーイ王離宮内の大木
ナーラーイ王国立博物館
Somdet Phra Narai National Museum
住所:Tha Hin Mueang Lop Buri Lop Buri 15000 Thailand
開館時間: 9:00-16:00(月・火曜日は定休)
入場料:外国人150バーツ;タイ人30バーツ
グーグルマップ
タイ国立博物館のサイト

【見どころ②】チャオプラヤ・ウィチャーイェン(フォールコン)邸

Baan Chao Phraya Wichayen / บ้านเจ้าพระยาวิชาเยนทร์

チャオプラヤー・ウィチャーイェン邸
フランス施設の迎賓館として建てられた官邸

ナーラーイ王離宮から徒歩5分の場所にあるギリシャ人フォールコンの官邸跡も訪れました。

もともと、フランス使節団の迎賓館として建てられた広大な敷地には、住宅・教会・迎賓館がありました。

フォールコンの妻マリー・ギマール(フランス文書上の名前。タイ人の間ではターオ・トーンキープマーとして知られる)は、江戸時代にキリシタン弾圧を逃れてアユタヤに移住した日本人キリシタンの子孫。

フォールコンが処刑されたあとは、アユタヤ王宮で宮廷料理人となり、さまざまなタイ菓子を考案したことで、タイではとても有名な人物です。

フォールコン 邸宅
フォールコンが妻のマリー・ギマールと暮らした邸宅跡

【見どころ③】ワット・プラシーラタナ・マハータート

Wat Phra Si Ratana Mahathat / วัดพระศรีรัตนมหาธาตุรัตนมหาธาตุ

ワット・プラシーラタナ・マハータート
ナーラーイ王によって建てられた西洋風の建物

国鉄ロッブリー駅の近くにあるクメール様式のヒンドゥー寺院遺跡でしたが、アユタヤ時代に仏教寺院へと改修されました。

遺跡をよく見ると、ヒンドゥー寺院の遺跡とナーラーイ王時代の西洋風の建物が入り混じっていることに気づきます。

最も注目すべきは、タイで初めての「プラーン(ปรางค์)」と呼ばれる仏塔。縦に筋が入っている「スターフルーツ型」のデザインが特徴です。

その後、ワット・アルンでも見られるとうもろこしのような形の丸みを帯びた仏塔へと発展したそうです。

プラーン ロッブリー
タイで初めての「プラーン」

【見どころ④】ロッブリー旧市街のクメール遺跡

ロッブリーは、7-14世紀にクメール帝国の支配下にあり、以下のような遺跡が市内に点在しています。

どの遺跡にも共通するのですが、寺院は長らく放置されていて、寺院にあった貴重な美術品は、ナーラーイ王宮国立博物館に展示されているものもありますが、多くが破壊されたり、盗まれたりしているということです。すごく勿体無い…。

もともとはヒンドゥー寺院だったものが、アユタヤ時代に仏教寺院に改修されていて、別の宗教なのに転用していいんだろうかと、ちょっと不思議な気がしました。

見学したクメール遺跡は下記の通りです。

ロッブリー 遺跡 仏像
クメール時代のヒンドゥー寺院遺跡に祀られた仏像

①プラプラーン・サームヨート(พระปรางค์สามยอด)

ロッブリーで最も有名なクメール時代のヒンドゥー寺院。

3つの塔が渡り廊下で繋がっているのが特徴で、仏塔の内部を見学することもできます。

ロッブリー クメール遺跡
ロッブリーで最も有名なクメール様式のヒンドゥー寺院遺跡

②プラーン・ケーク(ปรางค์แขก)

9-10世紀に建てられたヒンドゥー寺院ですが、現在は破壊されて何も残っていません。

ロッブリー市内の道路沿いにあります。

ロッブリー 遺跡
道路脇に遺跡があるのもロッブリーならでは

③サーン・プラカーン(ศาลพระกาฬ)

かつて古代ヴィシュヌ神の石像があったヒンドゥー寺院。ナーラーイ王時代に仏教寺院に改修されました。

ロッブリー 遺跡
現在も多くの参拝者が訪れるサーン・プラカーン

④ワット・ナコン・コーサー

Wat Nakhon Kosa / วัดนครโกษา

ドヴァーラヴァティ時代の寺院の基礎の上に建てられたクメール寺院を、後に仏教寺院に改修。

寺院の名前は、改修を担当したコーサーレックというナーラーイ王時代の官僚の名前に由来。

ちなみに、コーサーレックも歴史上の有名人物で、ドラマ「ブッペーサンニワート」に登場していました。

ロッブリー 遺跡
ナーラーイ王時代の官僚コーサーレックが改修を担当した寺院

ロッブリー史跡巡り:おわりに

以前は遺跡や史跡には全く関心がなかった私ですが、ドラマ「ブッペーサンニワート」をきっかけに訪れてみて、一気に興味が湧きました。ロッブリーの史跡には、アユタヤだけでは味わえない、ドラマの舞台そのままの空気があります。歴史好き、ドラマファンには是非訪れていただきたい場所です。

アユタヤ観光にも行ってみたいという方は、下記のリンクも参考にしてくださいね。

アユタヤ観光 アユタヤ観光:バンコク発日帰り旅行記

ロッブリー史跡巡りマップ

バンコクにはマリー・ギマールの名前を冠したタイ料理レストランもありますよ!

マリーギマール レストラン (Marie Guimar) マリーギマール レストラン (Marie Guimar):モダンな古典タイ料理店
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